大藏山光明寺 開創620年・遷座343周年

胆沢の地に刻まれた歴史とともに、
六百年余の法灯を今へ。

光明寺は応永3年(1396)、江刺氏ゆかりの地に開かれました。地域の有力者に支えられた創建から、戦乱と再興、岩城氏による現在地への移転、そして明治以降の変化を経て、今日まで人々の祈りを受け継いでいます。

  1. 古代789年〜

    胆沢の地に築かれた歴史の土台

    8世紀末、大和朝廷は胆沢地方へ軍を進め、延暦21年(802)には胆沢城が築かれました。その後この地域では安倍氏が勢力を持ち、豊田館を拠点とした藤原清衡へと時代が移ります。やがて葛西氏が奥州南部を治め、江刺の地にも新たな領主の時代が訪れました。

    こうした移り変わりの中、江刺を治めた平清泰は曹洞宗の教えと縁を結び、光明寺の開創へとつながっていきます。

  2. 室町時代1396年

    江刺氏の菩提寺として開創

    応永3年(1396)、徹叟弘通大和尚が平清泰を大檀那に迎え、正法寺二世・月泉良印大和尚を開山として、田谷村(現在の奥州市江刺愛宕田谷)に光明寺を開きました。江刺氏の庇護を受けながら、代々の当主の菩提を弔う寺として歩み始めます。

    応永9年(1402)には、江刺氏二代・平満家が本尊の蓮華座を造立したことが胎内銘に記されています。応永18年(1411)にも仏殿などの修理が行われたと伝わり、創建後まもなく寺の営みが整えられていったことがうかがえます。

    延命地蔵菩薩と胎内銘に関する資料写真
    創立当時の本尊と伝えられる延命地蔵菩薩と胎内銘
  3. 戦国時代1495年〜

    領主の交代と寺の再興

    明応4年(1495)、江刺氏の一族に大きな変動が起こり、岩谷堂を治める家も移り変わりました。その後も新たな江刺氏が光明寺を菩提寺とし、本尊の修理や寺の再興を支えたことが、永禄2年(1559)の銘文から伝えられています。

    享禄4年(1531)ごろの再興では、松音寺三世・皇山宗詮大和尚が招かれ、再興開山となりました。これを機に松音寺を本寺とする関係が築かれ、戦乱の時代にも寺の法灯が守り継がれました。

  4. 江戸時代1659年〜

    岩城氏とともに現在の地へ

    天正18年(1590)の奥州仕置で江刺氏が領地を失った後も、光明寺は田谷村にとどまり、寺の営みを続けました。万治2年(1659)、伊達政宗の孫にあたる岩城宗規が岩谷堂へ移ると、寛文年間(1661〜1672)に光明寺へ帰依し、本堂と境内のために土地を寄進しました。

    この寄進を機に、寺は田谷村から岩谷堂向山の現在地へ堂塔を移築し、岩城氏の菩提寺となりました。寄進された土地は二町歩(約2ヘクタール)と記録されています。場所を移しながらも、地域の人々の信仰を支える役割を担い続けます。

    岩城氏に関わる寺院の歴史を伝える写真
    岩城氏ゆかりの時代を伝える資料写真
  5. 江戸時代1691年〜

    寺の整備と火災からの再建

    元禄4年(1691)には梵鐘が鋳造され、七世・州山全芸大和尚の時代には本堂や庫裡が整えられました。寺は少しずつ伽藍を充実させていきます。

    寛政元年(1789)の岩谷堂の大火では、約170軒の家々とともに光明寺も被災しました。本尊や過去帳などは運び出されたものの、多くの什物を失います。その後、十五世・宗温大和尚(文化4年・1807年没)の時代に岩城氏と檀信徒の協力で本堂や庫裡が再建され、光明寺は江刺郡の筆頭寺院として再び栄えました。

  6. 明治〜昭和初期1873年〜

    学校として地域を支え、伽藍を守る

    明治初めに岩城家の庇護を離れた光明寺は、檀信徒と地域の人々に支えられる寺へと歩みを進めました。明治6年(1873)には小学校の校舎として庫裡などが使われ、10か月にわたり、連日400〜500人もの児童が学ぶ場となりました。使用後に傷んだ建物は檀信徒の力で修繕され、明治10年(1877)ごろに元の状態へ戻ったと伝えられています。

    明治末期には本堂の向拝が設けられ、屋根も葺き替えられました。のちに雪崩で屋根が大きく損傷したため、昭和14年(1939)には茅葺からトタン葺へ改める大規模な工事が行われました。

    明治期の光明寺を伝える写真
    明治期の寺院と住職を伝える写真
  7. 昭和〜現在1944年〜

    戦後の再建と境内の整備

    昭和19年(1944)、戦時中の金属回収により、長く地域に親しまれてきた梵鐘が供出されました。戦後は農地改革で寺有地の多くを失うなど大きな変化がありましたが、昭和27年(1952)に宗教法人として認証され、昭和29年(1954)には新しい梵鐘が納められました。

    その後、昭和31年(1956)に庫裡の屋根、昭和49年(1974)に表参道が改修されました。昭和57年(1982)には本堂の屋根をはじめ、庫裡・土蔵などの大規模な補修が行われました。幾度もの変遷を経て整えられた境内は、今も地域の祈りの場として受け継がれています。

    戦時中に供出された梵鐘を伝える写真
    戦時中に供出された梵鐘を伝える写真
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